千葉地方裁判所佐倉支部 昭和49年(ワ)103号 判決 1980年5月14日
原告 国
代理人 竹内康尋 草薙讃 春田一郎 大池忠夫 ほか三名
被告 印旛水産株式会社 ほか六名
主文
一 被告印旛水産株式会社は原告に対し、
(一) 別紙第一物件目録記載の建物及び同物件目録記載の養漁池内の漁類一切を収去し、同物件目録記載の土地を明渡せ。
(二) 金一八一万七六三五円及び内金一六七万〇一一〇円に対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員並びに昭和五三年四月一日から別紙第一物件目録記載の土地明渡ずみまで一日当り金一七三六円の割合による金員及び右金員を各日払いとしてこれに対しその各翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 (一) 被告塚本きよ、同塚本朗、同塚本弘及び塚本治は別紙第二物件目録二の(一)及び(三)記載の建物並びに同物件目録記載のつり堀内の魚類一切を収去し、被告塚本きよは同目録二(二)記載の建物を収去し、被告塚本朗は同目録二(二)記載の建物から退去してそれぞれ原告に対し、同物件目録記載の土地を明渡せ。
(二) 被告塚本きよは原告に対し、金七四四九円及び内金七三七九円に対する昭和四九年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 被告塚本朗、同塚本弘及び同塚本治は原告に対し、金一万四八九八円及び内金一万四七五七円に対する昭和四九年一二月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(四) 被告塚本きよ、同塚本朗、同塚本弘及び同塚本治は原告に対し各自金二〇万三一三七円及び内金一八万七七七二円に対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員並びに昭和五三年四月一日から別紙第二物件目録記載の土地明渡ずみまで一日当り金二五三円の割合による金員及び右金員を各日払いとして、これに対しその各翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 亡被告松下春三訴訟承継人相続財産管理人佐藤恒男は原告に対し、
(一) 別紙第三物件目録記載の建物並びに同物件目録記載のつり堀及び養魚池内の魚類一切を収去し、同物件目録記載の土地を明渡せ。
(二) 金三三万八五六六円及び内金三一万〇一八四円に対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員並びに昭和五三年四月一日から別紙第三物件目録記載の土地明渡ずみまで一日当り金三七三円の割合による金員及び右金員を各日払いとしてこれに対しその各翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告李三国は原告に対し、別紙第三物件目録記載の建物から退去し、かつ同物件目録記載のつり堀及び養漁池内の魚類一切を収去し、同物件目録記載の土地を明渡せ。
五 被告塚本岩吉は原告に対し、
(一) 別紙第四物件目録記載の養魚池内の魚類一切を収去し、同物件目録記載の土地を明渡せ。
(二) 金三九万四〇二二円及び内金三六万〇九九〇円に対する昭和五三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員並びに昭和五三年四月一日から別紙第四物件目録記載の土地明渡ずみまで一日当り金四三五円の割合による金員及び各金員を各日払としてこれに対しその各翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
六 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
七 この判決は仮に執行することができる。
事 実<省略>
理由
第一被告塚本きよ、同塚本朗、同塚本弘、同塚本治の本案前の申立について
記録によれば、被告らは亡塚本敏一の相続人であるところ、原告は当初右敏一を被告と表示して、昭和四九年一二月二〇日本訴を提起した。しかるにその後右敏一は同日午後〇時一五分死亡していることが判明したが、訴提起時と敏一死亡時との時間の先後が不明であつたため、原告は同五〇年五月一二日訴状訂正書によつて、当事者の表示の訂正として被告敏一とあるのを被告きよ、同朗、同弘、同治と訂正し、同人らに対し改めて同五〇年五月二一日訴状副本が送達され、同年六月三〇日第三回弁論期日において訴状が陳述されたとの経過が認められる。
ところで、右のように訴の提起時と被告の死亡時との前後関係が分明でない場合の処理の方法について確かに法の規定はないのであるが、規定がないからといつて何らの手段もとれないというのは相当でなく、本件のように被告らは敏一の相続人であるうえ、原告としては本訴提起時に敏一が死亡していたのであれば、相続人である被告らに対し本訴を提起する意志であつたことは明らかであり、右当事者の表示の訂正は訴提起後直ちになされ、訴状副本が各被告に送達され、しかる後に訴状陳述がなされていること等の事実関係に照らすと、訴訟経済の点、訴訟手続の安定の点、被告らの防禦の点のいずれの観点から考えても、右表示の訂正として処理することを不当とするべき理由は見当らない。よつて、被告らの主張は理由がない。
第二請求原因について
一 請求原因一、1の事実及び二の事実中、被告らが各係争地を原告主張の時期から、その主張の態様で占有している事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 請求原因一、2ないし6について
(一) <証拠略>を総合すれば、請求原因一の2ないし6の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三 請求原因二及び三のうち損害の点について
<証拠略>によれば、別紙1ないし5の計算書のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。(なお損害金は農地の使用料相当の損害金として計算したものであり、宅地その他の使用料に比較し割安で、被告らにとつて利益となつていることが認められる)
第三被告印旛水産株式会社の抗弁について
一 旧河川法上の黙示の占用許可について
1 抗弁の中核的事実は、千葉県が被告会社の養鰻業の実態と実績を調査し、被告会社が本件土地を占用している事実を確認したうえ、昭和三九年五月二〇日に三四万八〇〇〇円、同四〇年五月七日に二五万円の補助奨励金の交付をしたのであるから、黙示の河川法上の占用許可をしたものというべきであるという点にあるところ、<証拠略>によれば、千葉県は県内のシラスウナギの養殖と養鰻業の発展、振興を図るため、養鰻業者に対し、養鰻事業の機械化、合理化に必要とされる機械器具類整備のための費用の一部を補助することにし、補助金交付規則に基づき水産部員が調査のうえ、被告会社に対しても、同社の昭和三八年三月から同年九月までの実績に対し、昭和三九年三月三一日被告に対し金三四万八〇〇〇円の補助奨励金を交付したこと、県は係員の調査によつて、被告会社の養鰻池は訴外根本伝重から借りていた私有地三五〇〇坪上にあつて、国有地上には造池事業が行なわれていないことを確認のうえ、右交付していること、本件土地上に養鰻池が造成され始めたのは早くても同三八年終りころであつたこと、昭和三九年四月一日以降は補助金の交付はなされていないことが認められ、菅谷定一の供述中右認定に反する部分は採用し難い。なお同供述によると、被告会社は昭和四〇年にも養鰻組合を通じて二五万円の交付を受けたことがあるというのであるが、県からの通知はなかつたというのであり、その他これを補助金であると認めるに足りる証拠はない。
2 又今日のように行政の分野が多方面に広がつている場合においては特段の事由がない限り養鰻の為の補助金の交付の手続はあくまでその限度で意味をもつにすぎないと解するのが相当であつて、仮りに国有地上の養鰻業に対し補助金を与えたからといつて、その一事で河川法上の占用許可まで合わせてなされたと認めるのは相当でなく、本件の場合右特段の事由も認められない。
3 更に河川法上の占用許可というのは講学上行政行為といわれるものの一種であるから、その行政行為が有効に成立するためには、一定の権限を有する者によつて、その権限内の事項につき、適法、かつ公益に適合した内容のものが、法定の一連の段階を履んで、法の定める文書の形式によつて表示され、相手方に到達しなければならないのであつて、かつ行政行為は行政機関が積極的にこれを行なわない間は存在したことにならないという性質を有するところ、本件においては前記補助金の交付以外に何らの行政行為はなされていない。また、仮りに黙示の行政行為というものがありうるとしても、少くともその内容は適法かつ、公益に適合するものでなければならないところ、被告会社が本件土地を占有した昭和三八年末ころには、前認定のように、すでに国策としての印旛沼の開発が計画され、その一環として沼を干拓して農地を造成し、圃場整備を行つたうえ、入植ないし増反希望者に良質の農地を配分することが予定され、昭和三八年には具体的に干拓のための堤防の築造が開始されていた時期であつたから、被告の占用は右事実の遂行の妨害となることは明らかであり、被告に占用を許可することは公益に反しているというべく、従つてそのような行政行為が黙示でなされたものと認めることは到底できない。
二 現河川法上の黙示の占用許可及び工作物の新築等の許可について
1 建設大臣が明渡請求をしないで、千葉県知事がこれを行つた明渡請求は無効であるとの主張について
河川法九条二項、同法施行令二条によれば建設大臣はその指定する区間内の一級河川については当該一級河川の部分の存する都道府県を統轄する都道府県知事にその管理の一部を行なわせるものとされ、その場合知事は委任された範囲内においては対外的にも自己の名と責任において権限を行使することとなるところ、<証拠略>によれば建設大臣は昭和四〇年三月二九日千葉県知事に対し、印旛沼の管理の一部を委任していることが認められるから建設大臣名でなくとも千葉県知事がこれを行なつていれば適法となるところ、昭和四一年一二月一四日付で千葉県知事から形式上は菅谷定一個人にあてて「印旛沼沼敷における無許可工作物の撤去について」と題する書面(<証拠略>)が到達したことは当事者間に争いがなく、右文書の内容及び弁論の全趣旨から右宛名の菅谷定一とは個人でなく、被告会社の代表者としての菅谷定一に対しなされたものであり、原告はもちろん、被告にしても当然のこととしてそのように理解していたものと認められる。
2 関東農政局長が明渡を請求したのは無効であるとの主張について
昭和四四年八月一九日付で関東農政局長から被告会社あて「印旛沼干拓地区域内における無許可工作物の撤去について」と題する書面が発せられ、被告に到達したことは当事者間に争いないところ、公有水面埋立法四二条によつて国が知事から埋立の承認を受けた場合の埋立権者は同法二三条の規定によつて埋立工事竣功前においても、埋立工事を行うために必要な場合はもちろん、それ以上に埋立ての目的に反しない限り埋立予定地を自由に利用できるものと解すべく、もとより干拓地区域内に存する同区域の使用収益を妨げる無許可工作物の撤去を求める権利を有することは事の筋道から云つて当然のことである。埋立権者は国であるが、<証拠略>によれば、具体的所管庁は関東農政局長であることが認められる。従つて右明渡請求は適法である。
3 そして、右のように明渡請求が有効になされていること及び前記一において行政行為に関して説示した点も合わせ考えれば河川法上黙示の許可がなされたものとは到底言い難い。
三 黙示の使用貸借について
1 前掲昭和四一年一二月一四日付及び同四四年八月一九日付各書面が被告に到達し、同四九年七月一九日被告に対し本件土地に関し仮処分申請がなされたことは当事者間に争いがない。
2 ところで、<証拠略>によれば、被告会社に対する工作物撤去・土地明渡請求は、前記三つの他昭和三八年干拓事業が水資源開発公団に委託された際口頭で、同四〇年一月二〇日、同年二月二六日、同四一年一月二一日、同年三月一四日には右公団用地係員老野輝男が、同四〇年七月、同四一年二月には同公団用地課員瓦井昭二が、同四四年三月二八日には同公団用地課長牛込己佐雄が、同四四年三月関東農政局建設課員重田恵が、同四六年八月ころにも必ずしも明確ではないが千葉県農林部から、同四七年四月一八日には千葉県開発庁職員滑川政衛門及び浅川質が行つた他、同四八年八月二〇日関東農政局長から被告あてに本件土地明渡についての話合の提案がなされ、同年九月二五日及び一二月一三日にも撤去明渡を求めたことが認められ、他方被告の態度は昭和四四年一二月まず適正価格による払下げ又は占用許可を求める陳情書を知事あてに提出し、次いで同四八年八月三〇日には農林大臣と知事に、同四九年には農林大臣あて払下げ又は占用許可を求める各陳述書を提出している他、昭和四八年八月の話合には出頭しなかつたが、同年九月被告代表者は、本件土地が国有地であることと、官民の境界を認めたうえで払下げを求めたこと、しかし国から被告に対し払下ないし占用許可の意志表示がなされたことは全くなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右によれば、昭和四四年一二月から同四六年八月までの間には明渡を求める手続がなされたとのはつきりした証拠はないけれども、国としては被告占有当初の昭和三八年ころから本訴提起までほゞ一貫して被告に対し工作物撤去及び土地明渡を求め続けていたのであり、その間払下したり、明示の占用許可の手続はとられていない。
もつとも、被告本人の供述によると、<証拠略>のメモの交付を受けた際、田口用地課長から明渡を求める通知は形式的なものである旨言われたというのであるが、<証拠略>によれば、田口課長は右通知が形式的なものであると言つたことを否定しているところ、本件のように国策としての印旛沼干拓事業において、右田口課長以外からも何回も明渡請求がなされている中にあつて、田口課長が明渡請求は形式的であるなどと言える立場にはないことが明らかであり、右菅谷供述は採用できない。以上によれば、国は被告会社の占有を一時たりとも容認していたことはなく、被告会社と国との間に黙示の使用貸借が成立しているものとは到底いえない。
3 更に、法律的にみても被告が黙示の使用貸借権ないし占用権を取得することは考えにくい実情にある。即ち昭和三九年改正の国有財産法によれば、河川等の公共用物である行政財産については、私権の設定は原則として禁止されており(同法一八条)、たゞその用途又は目的を妨げない限度で使用収益させる場合には行政庁の許可によるものとされているところ、もとより明示の私権の設定ないし占有許可がなされた証拠はなく、黙示の場合についても、前示のように本件土地は土地改良事業のため造成された干拓地であるので、一私人の為に養鰻池として使用させることは特段の事情のない限り公益目的に反していると考えられるからである。その他被告の黙示の使用権ないし占用権を認めるに足りる資料はない。従つて、原告の使用貸借消減の再抗弁事実を判断する必要はない。
四 権利の濫用について
当事者間に争いのない事実、前示認定の諸事実、<証拠略>を総合して検討すると、
(一) 被告主張の事実中
(1) 被告会社は昭和三八年三月八日設立され、初めは本件土地に隣接する根本伝重から借りた私有地三五〇〇坪に養鰻池を設け、その後同年終りころから同三九年三月までの間に被告に先立つて地先権者と称して本件土地を事実上耕作していた者ら一〇名に対し一人約二二〇〇円程度の対価を払い、本件土地の占有を取得したうえ、資本を投下して本件養鰻池の造成に着手したこと、その当時本件土地一帯は未開地で葺が生え船で行かなければならず、電灯線も遠方からひいてきた程であつたこと、そして被告会社の努力の甲斐があつて品質が良かつたことから印旛沼漁業組合も養鰻業を始め、千葉県も昭和三九年三月被告に対し、補助金の交付を行つたこと(もつともこれは前示のように私有地における養鰻業に対してのみ行なわれている。)、その後も被告の事業は引続き行なわれ、今日に至つており、その間約一億五千万円の投資が行なわれていること、
(2) 政府は構造的な米の供給過剰に対処するため、昭和四五年度から米の生産調整及び稲作転換対策を実施した。そして印旛沼土地改良区内において印旛沼干拓地の配分を受けた者のうち、一〇人以上は配分地を他人に貸して自らは農業をやらず職人となつたり、配分地は耕作しているものの、先祖伝来の農地の方は荒らしている人もいること、
(3) 印旛沼干拓地の未配分地は本件係争地五・二ヘクタールと隣接地三・六ヘクタール計八・八ヘクタールであるが、具体的に配分申入者がきまつている訳ではないこと、
の各事実は認められるが、被告塚本岩吉が千葉県に対し水産試験場建設に際し、その占有する国有地の使用を承諾したこと及び国が被告会社に対し占有開始以来一一年間も有効な明渡請求が為されなかつたという事実は認められない。
(二) 他方
(1) 被告会社は設立当時まず、本件土地に隣接する私有地を利用して養鰻業を始めたものであり、投資は右私有地における造池費用にも当てられたこと、本件土地の占有取得の為払つた費用はわずか昭和三九年において三万円であつたこと、被告会社代表者は京都帝国大学法学部の卒業で一流企業に勤務し、その後佐倉市教育委員長等の公職にも就く程の人物であつたから、本件土地を占有する際、従前の占有者が正当な使用権原を有していなかつたこと、印旛沼が一級河川であり、公共用物であること、政府が積極的に印旛沼の開発干拓及び沼周辺既耕地の土地改良事業を推進しており、被告が本件土地の占有を開始した昭和三八、九年ころには水資源開発公団により干拓堤防工事が着工されたこと、干拓工事は長年月を要するが、干拓工事が進めばいずれは本件土地を含めた周辺一帯の地区について具体的に農地造成事業が施行されるものであること、更には、被告会社に対し本件土地の明渡を求められるであろうこと等の本件土地をめぐる法事情を十分知つていたものと推認され、かつその上で投資を続けたこと、従つて被告の意思は干拓が完成し、右農地造成工事が完成されるまでの間一時的に事実上本件土地を利用しようと意図し、国が明渡を求めたときには払下げないし占用許可を求めてみて、それが容れられないときは返還しなければならないということを十分知悉したうえで占有を開始したものであると推認されること、
(2) 原告は被告会社に対し再三再四工作物の撤去と本件土地の明渡を求めてきたこと、被告は今日まで一円の使用料を払つたことも供託した事実も認められないこと、被告以外の養鰻業者の多数が、国からの明渡要求に応じて明渡に応じていること、
(3) 政府が現在において米の生産調整、稲作転換政策をとつているとしても、現に本件土地の配分を求めて本件の早期解決を待ち望んでいる者が多数いること、また既配分地が十分利用されていない個所があるとしても、一%以下であること、配分地を耕作するだけで手一杯で先祖伝来の土地を荒している者があるとしても、一%以下の戸数であつて、それは配分地のように圃場整備がなされている土地に較べ灌漑、水捌等の条件が悪いため収益率の低い土地であるといえること、従つて、本件土地が整備されれば、配分を希望する人間は確実に出てくること、そして稲作調整というものも昭和四五年に始まつたものであるが、常識的に考えてみても、右食糧政策は永遠不変とはいい難く、現在の状況の下においても良好な農地を確保することは公益にかなうこと、本件土地の造成改良は戦後莫大な費用を投入して実施してきた国策的事業であるから、できる限り、その所期の目的を果すことが重大な社会的利益に適うこと、
の事実が認められる。
(三) 以上の法事情を比較考量してみれば、被告会社に対し国が本件土地の明渡を求めることは何ら権利の濫用となるものではないと解するのが相当である。
第四被告塚本きよ、同塚本朗、同塚本弘、同塚本治及び同塚本岩吉の抗弁について
一 国の明渡請求はクリーンハンド及び信義誠実の原則に反し権利の濫用であるとの主張について
(一) 国が印旛沼干拓事業を実施したことから昭和三二年ころ印旛沼漁業協同組合員が漁業権を消減させる内容の協定を締結したこと、被告らの本件土地における占有耕作について、原告ないし千葉県が正式の同意を与えていない事実は当事者間に争いがない。
(二) <証拠略>並びに争いのない事実によれば、
被告主張事実中
(1) 被告塚本きよ、同朗、同弘、同治の被相続人亡塚本敏一と被告塚本岩吉がかつて印旛沼漁業協同組合員であり、かつ専業漁業者であつたこと、右敏一と被告岩吉両名は印旛沼干拓による漁業権消減の協定によつて専業漁業者の地位を失つたこと、そのため農業に転業しようと考えたこと、当時印旛沼周辺の専業ないし兼業農家は将来干拓が終了したときに干拓地の配分を受けて入植したいと考え、昭和三四年ころ、地区ごとの仮耕作組合及び仮耕作組合連合会というものを組織したが、亡敏一と被告両名は臼井田仮耕作組合に加入し、仮耕作組合から干拓予定地について事実上亡敏一は約五反、被告岩吉は約一町五反の配分を受けたこと、割当地の排水設備の工事負担金として昭和三八年二月から三月にかけて亡敏一は六万〇〇〇〇円、被告岩吉は一〇万五〇〇〇円の納入をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(2) しかしながら、
1 漁業権消減に際しての協定の内容は専業漁業者については「専業漁業者で転業を要するもののうち、入植を希望するものについては、千葉県は極力これが斡旋を努める」というものであつて、被告らが主張するような「漁業専業者を干拓地に優先的に入植させる」とか、「組合員に対し、全員一人当り一反歩の干拓地の無償譲渡する」旨の約束があつた事実は認められない。もつとも、被告岩吉は組合員に対しては、優先的に一反歩ずつ有償で配分すると漁業組合長から言われたと供述するが、単なる記憶であつて裏付の文書がある訳でもなく、それも国や千葉県の係員から聞いたのではなく、印旛沼漁業協同組合理事から聞いたにすぎないものである。又証人鈴木栄吉は漁業権を放棄すれば、干拓するところを漁業者に配分するという約束があり、これは協定書にも、次に述べる覚書にも記載されていないけれども、覚書には「専業漁業者については特別に配慮する」とうたつてあるというのであるが、右覚書は証拠として提出されていないし、公の協定をする場合、正式の協定書(<証拠略>)の他に内容の異なる覚書が存在することは考えられず、又協定書等の文書と異なつた内容の口頭の約束があつたということも到底考えられない。
2 また亡敏一と被告岩吉を除く漁業組合員は全員国から無償で一人当り一反歩の干拓地の譲渡を受けた事実を認めるに足りる証拠はない。
3 更に仮耕作組合ないし連合会の設立について千葉県の指導を受けたこと、千葉県が構成員となつていたことを認めるに足りる証拠もない。もつとも、証人鈴木栄吉の供述中には仮耕作組合の設立は自発的にしたが、仮耕作組合連合会を作るに当つては、昭和三四年ころ県が開墾に必要なドラムシヤリンを貸してくれたので、それが県の行政指導であつたと考えていたという部分があるが、それも使用料を払つていたというのであるし、県が貸してくれたから、連合会設立について県の指導があつたとは言えないし、又同人は、連合会は一年間仮耕作の許可を得たことがあり、その関係の文書もあるというが、証拠として提出されていないし、具体的に県の公の立場の人の許可であるのか、まつたく明らかでない。
(3) 被告岩吉が仮耕作組合から割当てを受けて耕作した土地は本件土地ではないこと、即ち割当地は岩吉の努力によつて収穫のよい土地になつて、欲しがる人が出てきたのでそれらの人々に譲り、その後本件土地に移つて、これを占有するに至つたこと、しかし本件土地はもともと鯉の養殖池の跡で農耕に適さなかつた為、仕方なく現在のように養鰻池としてしまつたこと、従つて、本件土地を占有した後は農業をする意思を失い、かつ干拓地配分申込者の適格を欠くに至つたこと、又亡敏一は仮耕作組合から現在の占有地の配分を受けたが、浮島状で田とならず、結局農耕をしないで釣場を始めて農業をする意思を失い、かつ干拓地配分申込者の適格を欠くに至つたこと(なお旭証言によれば両名とも正式の配分申込をしていないようである。)。
(4) 被告岩吉が水産試験場建設のため自己の占有する国有地を提供したことはなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
以上の認定事実及び情況の下において、原告が被告らに対し工作物の撤去及び本件各土地の明渡を求めることは何らクリーンハンドの原則及び信義誠実の原則に反するものではなく、権利濫用にはならないことは明らかである。
(三) 被告の援用する被告印旛水産株式会社の主張する権利濫用の抗弁については、被告印旛水産株式会社の抗弁についての前示説示をここに援用する。
(四) 引換え給付の主張について
前示のとおり、印旛沼漁業協同組合員が、漁業権放棄の対価として、国から一人あたり九九九平方メートルの干拓地が無償譲渡されたとの事実は認められないので、右主張も理由がない。なお引渡請求権があるとしても、本件明渡請求は同一目的地に関するものとはいえないし、不法占有に基づく明渡請求に対し、同時履行の関係にあるものということはできない。
第五亡被告松下春三承継人及び同李三国の抗弁について
一(1) 亡松下春三が本件土地に養魚池、つり堀及び建造物を設置し、被告李三国は昭和四九年一月ころ、右春三から右各施設を借受け、養魚池とつり堀を修理し、右借受けた建造物を改築して養魚、つり堀の経営をしていることは当事者間に争いがない。
(2) <証拠略>によれば、抗弁1の事実及び抗弁2のうち、亡松下春三が抗弁1の承諾に基づいて、養魚池、つり堀建造物を設置した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二 しかしながら、抗弁4について考えてみるに、
(一)(1) 原告が、被告が抗弁1で主張する訴外成京株式会社と印旛沼漁業組合との貸与契約の存在及び亡松下春三が右契約ないし組合の承諾にもとづいて養魚池等を設置したこと、亡松下から被告李三国が、右各施設を借受けた事情を国が知つていたことを認めるに足りる証拠はない。
(2) もつとも<証拠略>によれば、国にとつて、亡松下の占有の事実は占有後間もなく知つており、昭和四四年八月一九日及び同年一二月一三日亡松下に対し無許可の工作物の撤去を申入れ、その後昭和四八年八月一六日には関東農政局長が亡松下春三に対し同月二〇日に本件土地の工作物撤去明渡の話合の提案をしつつ明渡を求める文書を送付したが、松下は出頭しなかつたので、同年九月三〇日農政局用地課員関隆吉が、一〇月四日には田村用地課長が明渡を求めたのに対し、亡松下は本件土地が国有地であることを認めたうえ、行くところがないので払下げてほしいと申出をしたが、松下は拒否されたこと、その後も同年一二月一三日亡松下に対し同四九年三月までに立退を求めたこと、そして昭和四九年七月松下に対し仮処分申請をしたうえ、本訴を提起したものであること、もつとも被告李三国が亡松下から本件土地及び施設を借受けたのは昭和四九年一月であり、国がこの事を知つたのは同年春から夏にかけてのことであり、本訴に至るまで同人に対し、明渡を求めたことはないが、前記仮処分執行調書には被告李が金海三国という名前で四署名指印していることが認められる。
従つて、原告は松下の占有の経緯を知悉しながら本訴提起直前まで一度も異議申立をしなかつたという被告の主張は理由がない。
(二)(1) 次に、被告は「原告は被告らが本件土地を使用することを認めていたものであるというべきである」と主張するところ、その法的性質について原告から求釈明がなされたのに、被告は釈明しない。従つて、その意味は不明確であるが、河川法上の黙示の占用許可又は黙示の使用貸借の主張であると一応解釈しえないでもない。しかしそれに対する判断は前示被告印旛水産株式会社の主張に対する説示を援用する。
(2) なお漁業権に基づく公有水面使用権は県知事の免許によつて取得し、漁業権の移転は制限又は禁止され、かつ貸付も禁止されているところ、亡松下春三ないし被告李三国が直接漁業権の免許を受けたことを認める証拠はなく、また印旛沼漁業共同組合も協定によつて漁業権を失つており、成京株式会社に対し水面及び付近土地の使用権を譲渡たとしても、右譲渡は無効であつて、被告らが本件土地の占有権限を取得することはない。黙示の漁業権取得ということも前示認定の印旛沼干拓の経緯からいつて想定することは不可能である。以上、いずれの観点から見ても被告らの抗弁は理由がないことに帰着する。
第六結論
以上のとおりであるので、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも理由があるので認容し、仮執行免脱宣言の申立は相当でないのでこれを却下することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 加島義正)
第一ないし第四物件目録 <略>